スキーマとは

教えて相談室

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今日は心理学用語の「スキーマ」について解説していきます。
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スキマ…?杉様ですか…?
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隙間ではありませんよ。スキーマです。
でも、シロクマさんは「隙間」と言えば杉良太郎の「すきま風」を連想するのですね。
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杉様、カッコイイです~。流し目もステキです。
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なるほど~。
私は隙間と言ったら「隙間産業」を連想します。
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あ!私が連想してしまったばかりに話が逸れてしまいましたね‥。
今回のテーマはスキーマでしたっけ?
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大丈夫ですよ。
「スキーマ」とは時にエピソード記憶や感情を伴いながら、ネットワークのように互いに結びついて構造化された知識をいいます。[1]
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???
エピソード記憶?感情?構造化…ですか?
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そうですね…
例えば「すきま風」という単語を、ふすま や障子の建具職人さんが聞いたらどう思うでしょうか?
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うーん…‥。建具職人さんにとって「すきま風」は、敵のようなものかもしれません…。
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私たちの知識は関連する概念同士がネットワークのように結びついて構造化していて、さらに時々エピソード記憶や感情を伴っているのです。だから、人それぞれ、連想するものが異なるのですね。
記憶のネットワーク
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人はそれぞれ経験や感受性が違うから、同じ言葉から連想するものや感情が違うということですね。
「果物」と言えばりんごやもも・バナナなど一般的な果物が結びついているのはみんな一緒ですが、好き嫌いなどがあるので真っ先に思いつくものが違ったりする…と。日本人にとって馴染みのない熱帯の珍しい果物は、そもそも記憶ネットワークのなかに含まれなかったりする訳ですね。
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さらに、もう少し考えてみましょう。
先ほど、建具職人さんの例を挙げましたが、たてつけを直してすきま風がなくなり、とても感謝された経験のある職人さんはどうでしょうか?すきま風と聞いたらそれを思い出し、悪いイメージはないかもしれません。
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確かにその通りですね。
人それぞれですから、職人さんによって経験も感情も違います。すきま風と聞いて、仕事だー!とやりがいを感じる方もいらっしゃるかもしれません。たとえ「建具職人」という同じ立場であっても、個人個人で記憶ネットワークの関連情報は異なる…ということですよね。
すきま風→寒い→悪→敵と連想して職人さんにとっての敵と思ったのは、私の体験した出来事からの思い込みでした…。
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敵と思っている職人さんもいるでしょう。でも、そうとも限らない。さらに言えば、「まぁ、敵っちゃ敵だけどねぇ」などと人によってその度合いも違います。
大切なのは、私たちは常に自分自身のスキーマ由来フィルターをかけて物事を見ていると自覚することなのです。そして、人に対してかけるそのようなフィルターを「ステレオタイプ」と言います。[2]
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ステレオタイプは聞いたことがあります。アメリカ人は陽気だ…などというイメージのことですよね。
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私たちは「スキーマ」があるおかげで、関連する新しい知識を取り入れたり、再生(※)したりすることが簡単になるんです。[3]脳が効率よく情報処理することを助けてくれている…と。
ただし、そんなスキーマが逆に記憶を歪めてしまうこともあります。[4]
(※思い出して、実際に行動にうつす《アウトプットする》こと)
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どういうことですか…?
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人はなじみのない情報に出会うと、自分のもつスキーマを手掛かりとしながら情報を再生しようとするため、記憶内容に変容が生じやすくなるのです(これを記憶の再構成といいます)[5]
大学生にエジプトの象形文字・ヒエログリフを見せ、再生してもらい、その絵を次の人に見せ、再生してもらうという、伝言ゲームのような作業を繰り返すと、やがて見慣れた猫の絵に変わっていった…という実験結果もあるそうです。[6]
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人は情報をありのままに記憶せず、それまでに構築してきたスキーマを頼りにして覚えたり思い出したりするのですね。
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また、自分のステレオタイプを覆すような情報には目が行かず、確証する情報ばかりに注意が行くという「確証バイアス」というものも人間には存在します。[7]
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自由奔放で嫌いなタレントさんが良識的なことを言ったとしても、そこには目が行かなかったり無かったことにする。奇抜な発言をしたら「ほぅら、やっぱりだ!」みたいな感じでしょうか。
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そうですね。
本来、そのタレントさんの発言は1つ1つをそれぞれ切り分けて認識する必要があるんですよね。でも、人間の脳にはキャパシティー(許容量)があります。そのため、人間は特別な理由がない限り、情報処理にかかる労力を極力無駄遣いしないようにしていると考えられているそうです。[8]
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「好きな人」のことは悪い噂があったとしても「それって本当かな?」と精査するのは「特別な理由」ですね。
あ!でも「あばたもえくぼ」って言葉もありますね…。恋は冷静さを失わせます。本当に「恋は盲目」ですよね。
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そうですね。大切なのは、人間の脳にはそのような特性があるということを知ったり、再認識したりことです。
自分も他人も、自分自身の経験や感受性によって構築されたフィルター越しにこの世界を見ているということを忘れてはいけません。そして、確証バイアスのような認知の歪みや、そのほか錯覚を起こすことも、人間ならば自然なことなのです。
最後に、スキーマの個人差について考えてみたいと思います。

(※ここからは、最後のまとめ以外、ほぼ私見による考察になります)

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イラストは伝わりやすいよう誇張してありますが、スキーマのネットワークの度合いにも個人差があります。個人差がある…というだけで、ヒグマさんとシロクマさん、どっちがエライだとか上だとかそういう話では決してありません。
さて、この個人差、シロクマさんとヒグマさんのコミュニケーションにどのような影響を与えるでしょうか?
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うー…ん…‥?
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例えば、疎なヒグマさんは、密なシロクマさんの発想の意外さに驚くことがあるかもしれません。「そんなこと、思いつくんだ!すごいね」とか「なんでそうなるの?」とか。
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なるほど。
でも逆に、私はヒグマさんに分かってもらえないことがあるかもしれないということですね。
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ちゃんと説明すれば分かってもらえるとは思いますが、いわゆる「ツーと言えばカー」の軽快な意思疎通はお互いに難しいかもしれません。でも、コミュニケーションを続けていくうちに2人のスキーマは再構築されていくことでしょう。
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「ツーカー」って携帯電話会社の社名にもなった言葉ですけど、死語に近いですよね。
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そうですね。世代差・文化差など、所属している社会によっても構築されるスキーマは異なることも覚えておきましょう。
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私とヒグマさんの例に限らず、コミュニケーションで上手く伝わらないときに「自分が悪いのかな?」と悩んだり、「相手が悪いんだ!」と決めつけるよりも、スキーマの個人差をまるまる受け入れてしまった方が「そういうものなんだ」と受け取れて、ずっと楽になるかもしれませんね。そして、伝えるための工夫をお互い素直に出来るようになるのかもしれません。
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もう1度、繰り返しになってしまいますが、何が偉いだとか上だとか良いとか有利だとか、そういうものは一切ありません。大切なことは、個人差があることを認識し受け入れること…ただそれだけです。
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人間の脳みそって、意外と面倒臭がりの省エネ好きなんですね。だから、情報をある程度一括りの束にしておいて、新情報が来たときに関連していそうな場所にぶつけるだけで処理を軽くしようとする。「あの人(たち)は~~だ」などという「ステレオタイプ」はその典型例なんですね。
でも、それは相手の言動への期待を生むこともあります。さらに、本来は個別に精査しなくてはならないときに手間を惜しむと、それがよろしくない結果を生むことがあるということも認識しておかなくてはいけませんね。

【参考資料】

田中統治,向田久美子,佐藤仁美
心理と教育へのいざない(放送大学教材)

[1],[3]~[6] p87 [2] p118 [7],[8] p119