人生の課題

モヤモヤ軽減記,体験談

よく耳にする「人生の課題」とは葛藤だったり、手放した方が良い執着だったり、人それぞれのものです。そして、人生のフェーズ(段階)で異なります。

前回の記事は当ブログ初の有料記事とさせていただきましたが、これは私がお金に対しての執着が少し希薄であることを自覚したからです。
お金をガツガツ稼ぐことに罪悪感のある方がいると聞きました。私はそこまでではありませんが、自分が表現していることに金銭的価値があるものなんだとまでは思えていなかったのです。

銭ゲバシロクマ

でも、いつか真逆の課題に取り組む日が来るかもしれません。
逆にお金に執着するようになって、その執着を手放すことに向き合わなくてはならない日が来るかもしれません。人生は流転しているため、全くないとは言いきれません。

もしそうならば、それもこれもお金に対する執着は有り過ぎても無さ過ぎても正しいということはなく、大切なのは「バランス」なんだということを気付くための私にとっての課題なのかもしれませんね。そして、人生の課題は結果よりも取り組んだこと自体、その過程の方が大切だったりすることもあるのかなぁとも思います。

ところで、年齢による課題もあり、同世代の人と似たような課題に向き合うこともあります。(※この辺りに興味のある方は「エリクソンのライフサイクル論」について調べてみてください)

年齢的に向き合うべき課題があるときに、それとは別の課題だけにどうしても向き合わざるをえないこともあります。その他、状況的に課題に向き合うことが難しくなってしまう場合もあります。その場合、年を取ってから再び向き合うことになるのかもしれません。本来、若いころに向き合うべき課題に年を取ってから向き合うことに恥ずかしさなどを覚えるかもしれませんが、そのように思う必要は全くありません。

先に課題に取り組んだからエライとか先に行っているとかそういうものは一切ありません。全ては人生の巡り合わせにしかすぎません。

先に課題に取り組み済みの人から、自分から聞いてもいないのに口出しをされることがあるかもしれません。前述した通り、人それぞれの人生模様があり、全ては巡り合わせです。そのような口出しは馬耳東風で受け流して良いかと思われます。

そして、人との巡り合わせも不思議なものだなぁ、と思います。自分には課題があることを気付かせてくれるだけで、一緒にそれを乗り越える訳ではない場合もあるんですよね。そんな課題は1人で乗り越えるか、気付きつつ「一緒に乗り越える人」と出会うまでしばらくそのまま棚上げになったりもします。

さらに、自分もそんな影響を他者に与えているのかなぁ?と考えると、これもまた不思議な気持ちになります。でも、このブログが良い意味でも悪い意味でも、何かのお役に立てば幸いと思っています。