人を呪わば穴二つ
「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。
人を恨んだりして他人に害を与えようとすれば、自分にも害が与えられるという意味です。
本記事ではこの言葉について、最近思うことを述べていきます。
いじめた相手など、自分に心の傷を負わせた相手を「許せない‥!」と思うことは当然のことです。許せないという気持ちがあるのに、自分の気持ちを偽ってまで相手を許す必要はありません。その一方で
「相手を許さないと人生、良くなりません。許しましょう」
という言葉を聞きますが、私はそうは思いません。自分の気持ちを偽れば、自分の心に無理な負荷がかかります。そんな状態で人生が良くなるでしょうか。気持ちは自由なのですから、まずは相手を許せない自分の気持ちを許すこと。自分の心の内だけは自由であって良いことを許すのです。
ここで大切なことは、相手を「許さないこと」と「仕返し・復讐をすること」「自分を悲劇の主人公にすること」は全く別物であるということです。
つまり、これは「相手を許せない」という気持ちと、ただただ共存していくことを意味します。
でも私たちは人間なので、そのことが難しかったりします。理不尽さや矛盾を感じたり、そもそもよく分からなかったりします。酷い目に遭ったことを他者に分かって欲しいという気持ちもあります。そんなときに人は、神様や仏様に全てを委ねるのでしょう。(※私は特定の宗教団体との関係は一切ございません。この一文に宗教を勧める意図もありません)
かくいう私も、臨床心理士の先生からこのこと(ただ許すこと)を教わった当時は実感もなく、よく分かりませんでした。
けれど最近では、自分自身の気持ちを(さらには弱さも)一切合切許すことを繰り返しているうちに相手のことを許せる気持ちも自然と湧いてくるものなのかな。そういうものなのかな、と思えるようになりました。
さて、途中でも書きました。許せない気持ちと共存することと「仕返し・復讐をすること」「自分を悲劇の主人公にすること」は異なります。ここを弁えずにいると、結局相手のことを許すことも出来ないまま自分に報いが返ってきてしまう。そういうことを戒める意味も「人を呪わば穴二つ」にはあるのかな、と感じた今日この頃です。
【補足・修正のお知らせ (2024,04,25)】
相手から傷(心の傷も含む)を負ったりして健康被害などの実害が出た場合には、私刑ではなく公正な然るべき手段で相手にきちんと訴えることも大切です。それは当然の権利であって、復讐や仕返しにはあたりません。そのようなことを否定する記事内容ではありません。
また、本文の修正を数か所行いました。