メンタルクリニック周辺が抱える問題点 (私見)

メンタルクリニック

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メンタルクリニック周辺の問題点。
これは、取り扱うものが「心の困りごと」であるということに起因するものが殆どかと思います。
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言いたいことはなんとなく分かりますが、具体的にはどういうものですか?
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他の診療科と違い、採血したりレントゲンを撮ったりなど「検査」をして、患者さんの今の状態を数値データなどで示すことが出来ないことがほとんどですよね。
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足をくじいて整形外科を受診して骨折していた場合、自分のレントゲン写真を見せてもらえば、素人の私や家族でも、骨折していることが納得できますね。
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中には医師でないと見つけられないようなものもありますが、パッと目で見て分かる具体的な情報が示されれば納得はしやすいですよね。
「歩きたくないから『痛い』と嘘を言ってるんだろう」などと、痛い思いをしているのにも関わらず分かってもらえないようなことは、骨折したこと自体ではあまりないでしょう。
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そう言えば、サッカー部だった友達が骨折したときに、骨がくっついた後、なかなか痛みがひかなくてやきもきしてたら「骨折してから時間が経ってるのに、お前、サボりたいだけだろう」って部活のコーチに言われて傷ついたって話を聞いたことがあります。
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そのお友達は、とてもイヤな思いをされましたね‥。
客観的にとらえづらいものは他者の価値観・感受性や経験で判断されてしまって理解されにくく、何重にも傷付くことがあるのも問題ですね。
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けど、中には分かりづらいことをいいことに、本当に嘘をつく人もいるんですよね‥。
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メンタル不調を装う嘘をつく人は、たしかにいます。その理由は色々かと思いますが、詐病で生活保護を受けるなど金品をだまし取ることはもちろん犯罪です。
詐病じゃなかったとしても、余った薬を許可なく転売したら薬機法や麻薬・向精神薬取締法違反に問われることもあります。
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ひぃっ、犯罪‥。
メンタルの先生は、客観的に分かりづらくて理解されづらい「心の不調」で苦しんでいる人を助けたいのに、そんな片棒を担がされたら、たまったものじゃないですね‥。
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そうですね。
ただ、先生が慎重だったとしても、自分のことを詐病だと思っているのではないか?と、疑わないであげて下さいね。
元々、客観的に分かりづらい「心」の困りごとですから、メンタルクリニックの先生は、患者さんの話をよーく聞いて、慎重に慎重を重ねて診断や投薬・処方を行います。
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ホイホイとお薬や診断書をくれる先生は、自分のことをちゃんと診てくれていないと思った方が良いくらいなんですね。
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すぐにお薬を飲んで、仕事や学校から離れてゆっくりと休んだ方が良い場合もあるのでこの限りではありません。でも、そのくらいの心持ちでいて良いかと思います。
どんなに知識や経験が豊富な先生であっても、慎重に判断をしていかれます。なので、診断に時間がかかることもあります。
だからこそ、我々素人が「あの人は詐病だ!」とか「あいつ、アスペじゃね?」などと判断出来る訳もないんです。
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メンタル疾患に関する知識だけではなく、他人のことも自分が知っていることはあくまで一部分だったりしますものね‥。
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精神医学は日進月歩ですので、先生はアンテナを張って新しいことを勉強されています。そして、先生は患者さんの心の内にある「本当のこと」「本当の気持ち」を話してくれるよう、努力していきます。
その一方で、患者さんがメンタルやカウンセリングの先生を神格化して崇めてしまったり、惚れこんでしまったりすることがあります。これは、治療・回復の途中段階で起こり得る「自然なこと」です。
もちろんプロなので、そういうこともあると心得ていますが、ご家族やお友達など患者さんの周りの方たちにも、そういうことはあり得ると前もって知っておいて欲しいです。
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先生も人間だから、つい出来心で‥(以下略)、なんてことが無いように、ですか。
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もちろん、それもあります。が、患者さんの気持ちを身近な人が否定したりしないで欲しいのもあります。
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「気持ちを分かってもらえない」ことは切ないですが、そのうえに「否定」されたら辛いですもんね。
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自分が「経験したことがないこと」を理解出来ないのは、ごくごく自然なことです。だからと言って、相手の「自然さ」を否定してしまうのは悲しいことですよね。自分の「自然さ」を受け入れたうえで、相手も受け入れられる。簡単なことのようで難しいことですが、あらゆる人間関係でそうありたいものですね。