朱に交われば赤くなる
「朱に交われば赤くなる」という言葉があります。人は付き合う人間によって、良くも悪くも影響を受けるという意味の言葉です。でも、これって本当に影響を受けた結果の話なのでしょうか?今回は私の昔話を交えながら考えてみたいと思います。
私が高校生のときのお話です。
私が1番仲良くしていた友人は、時間を無駄にしない子でした。宿題を休み時間や通学時の電車が空いているときなどにするのです。
宿題をするのは休み時間にいつもではありませんでした。でも、休み時間に宿題をしているときには当然私とは遊べません。そんなとき、私には「別の友人と遊ぶ」という選択肢もありましたが、私が選んだのは…
私も休み時間に宿題をやっつける…でした。
帰宅したら1人でゆっくりとする時間を少しでも長く過ごしたかった私には、友人の「宿題は空き時間に作戦」はとても良いアイデアだったのです。
中学校までは学校の休み時間に宿題をしていると「真面目な奴」「優等生ぶっている」などと言われそうなのが嫌で出来ませんでした。でも、仲間がいれば出来たという訳です。そして、そのように言われない環境にも助けられました。つまり、交わったから赤くなったのではなく、元々赤かったものが環境によって引き出され、表出しただけ…という体験でした。
人間は社会的な生き物なので、空気を読みます。それは集団から弾かれないために必要な作戦です。
でも、今回の私の昔話のように本音を隠したまま環境に慣れきってしまって、自分の本音を忘れ去っていたという場合は要注意です。自分の本音を麻痺させてしまうことは、心の健康のために決して良いことではないからです。
このように慣れ切った環境内に、
自分自身で葬り去ってしまった自分の本音はないか?
自分が本当は何色だったのか分からなくなってはいないか?
本記事が今一度、思い返してみる機会になると幸いに思います。